東京高等裁判所 昭和42年(ネ)2220号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕控訴人の右負傷が今津清の過失に基づくものであるかどうかについて判断する。
<証拠>によれば、本件電車軌道は複線式の専用軌道であつて、本件電車の如き早稲田より荒川車庫方面(東北方より西南方へ)に向う電車は南西側軌道を使用すること、而して、軌道は前記滝野川踏切において幅員約八米の道路と交差していること、踏切の東南方約八〇米から踏切に至る間の軌道は直線になつており、かつ、線路の南西側には幅員約四米の道路が線路に並行して設けられ、前記踏切と交差する道路に接続している関係上、本件電車の運転手席からは、右踏切の南西側より踏切に立入ろうとする通行人に対する見通しは極めて良好であること、<証拠>によれば、今津清は、乗客約一二〇名の乗車した本件電車を運転し時速約二五キロメートルで本件踏切に差しかかつたこと、<証拠>を総合すれば、控訴人は、本件電車が踏切に差しかかる前、本件踏切の西南方の端であつて道路の中央、本件電車の走行する軌道の中心より1.6メートルの地点に佇立して本件電車と反対方向に向う電車をやり過ごした後(反対方向行電車が本件事故の少し前に本件電車とすれ違つたことは、<証拠>により認められる。)踏切を横断すべく踏切の中を東北方に向けゆつくりした歩調で歩き出したが、その速度は、歩き出してから衝突地点である右軌道の中央に至るまで約3.2秒を要した程度のものであつたこと、以上の事実がそれぞれ認められる。
以上によれば、時速二五キロメートルの電車は3.2秒の間に約二二メートル進行するから、運転手今津清は、前方をよく注視していたならば、約二二メートル前方において控訴人の行動に気付き、直ちに急制動の措置をとり得たはずである。ところで、<証拠>によれば、本件と同型の電車は、約一二〇名の乗客を搭乗せしめて本件軌道上を時速二五キロメートルで進行中に急制動措置をとると、3.2秒で一九メートル進行し、四秒で二二メートル進行し、その時の電車の時遠は一三キロメートルに減つており、そして6.7秒で二八メートル進行し、そこで完全に停止することが認められる。そうであれば、本件事故直前、もし今津清が前方注視義務を十分に果して電車の急制動措置をとることにいささかの遅滞がなかつたならば、たとえ控訴人が歩き出してより3.2秒後右軌道の中央において始めて本件電車の接近に気付いたとしても、なお身を翻がえして衝突を避ける余地が残されていたわけである。まして、右3.2秒前に行なわれる電車の急制動による異常な騒音、さらには今津清によつて行なうことが予想される非常警笛により、控訴人はより早期に電車の接近に気付いてこれを避け得たことも十分に予想される。たとえ、控訴人が身を避けるのに敏捷を欠き、本件電車が前記制動距離の関係上控訴人の身体に接触せざるを得なかつたとしても、前記のように速力がかなり減退した後であるから(接触時の時速一三キロメートル、完全停止までの距離六メートル)、控訴人に与える傷害は著しく緩和されたであろうことは容易に推察される。しかるに、<証拠>によれば、運転手今津清は、衝突地点の手前的6.2メートルの地点まで電車を進行せしめて始めて既に軌道内に立入つている控訴人の姿に気付き急制動措置をとつたものであることが認められる。証人今津清は、本件踏切の西南端、子供の手前に大人が一名立つていたため子供の佇立に気付き得きかつたと証言するが、たとえそのような大人がいたとしても、<証拠>によれば、本件電車の運転台は地上よりかなり高く、また、電車の進行による踏切西南端に対する視角の移動するに伴い、子供の佇立していることやその歩み出しを見ることにしかく困難があつたとは思われない。<証拠判断>
このようなわけで当裁判所は、本件事故は被控訴人の被用者今津清の前方注視義務を怠つた過失によつて発生したものと断定せざるを得ない。被控訴人は、今津清の選任監督について相当の注意をなしたと主張するが、これを認めるに足りる証拠がない。<中略>
しかしながら、前認定のように、道路が都営電車の専用軌道と交差する事故現場のように交通の危険の多い個所でも、幼児は往々にして電車の進行に介意することなく踏切を横断しがちであるから、その親権者等の監督義務者は自らこれに附添い幼児の軽卒な行動を抑制し以て事故の発生を未然に防止すべき監護義務あるものというべきところ、この義務を怠り、漫然幼児が単独で歩行するまゝに放置した点で親権者にも本件事故の発生に過失の責があるものといわなければならない。そして、控訴人のように四年七月の幼児で事理の弁識能力がないため被害者自身の過失を認めることのできない場合でも、親権者の過失は被害者側の過失として賠償額の算定に当つて参酌せらるべきものであつてこの理は親権者自身が損害賠償を請求する場合であると被害者自身が損害賠償を訴求する場合であるとにより異ならないと解する。その過失の割合は、今津清六割、控訴人四割と認める。(岡部行男 坂井芳雄 大石忠生)